2015年8月28日金曜日

見納めひまわり

もう、そろそろ夏が終わり、、
街のお花屋さんから姿がなくなりそうなお花。。



ひまわり
ヒマワリ
向日葵











個人的には、向日葵と漢字で書かれたものが古風で好きなのですが、書いて字の如く「おひさま
が大好きな花」なんだ、ということがわかります。



ひまわりは皆おんなじ方向を向いて咲いていて、明るい太陽のほうを向いて咲く、というその健気な姿から、ゴッホやモネも好んで絵にした花として有名です。


今や「ゴッホのひまわり」とか「モネのひまわり」といった品種のひまわりも存在しています。
(上から3枚目の写真は、モネのひまわり)



見た目は、個性があって主張が強いので、お客様の好き嫌いもはっきりと分かれていました。



「黄色系でまとめてね。あっ ただしひまわりは入れないで。」


「黄色系で、ひまわりたっぷり元気系でお願いします!」


など、
私が今まで受けてきたオーダーだけでも様々。




~同じ素材でも、見え方が全く違う~




でも、それは自然なことで、それでいいんだと思います。




ドラえもんの映画の主題歌になって、大ヒットした秦基博さんの歌に、ひまわりの約束という歌があります。

メインのサビは、この歌詞。

「ひまわりのような まっすぐなその優しさを 温もりを全部」






このPVをみても、歌詞からもわかるように、ひまわりって、実はすごく背が高くて、すごくまっすぐ咲きます。

大きい頭ですが、それを細い茎でけなげに支えて、風に揺られてユラユラ、、、



でも、しっかりと根付いている。



とても凛としている、ピンとしている、ちゃんとしている、イメージでしょうか。

大体の皆さんのひまわりのイメージもこうかもしれません。





先日、私があるレストランに入ったとき、目に入ってきたのが、1枚のポスターでした。

「I Girasoli」

イタリア語でひまわり。

1970年のイタリア映画の名作、「I Girasoli」のポスターでした。
マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンの演技はもう言うまでもないのですが、この映画にも、象徴的にひまわり畑の映像が流れます。



どうでしょう、、
元気なイメージのひまわり、というよりは、なにかここからは、、
世の憂いや哀しみ、物悲しさ、それでもひたむきに生きる姿のようなものが滲み出ているような気がしてなりません。



戦争を背景とした、めちゃくちゃ哀しい映画です。
ただ、、
美しくもあります。




この花はこうだから、という決めつけを、もしかしたら気づかないうちにしてしまっていることがあるかもしれません。


そんな決めつけをなくしてしまえば、もっときっと自由に愉しめるようになる。


同じ花でも、思いが違えばそれは全く異なる個性として存在するものだと思います。



例えば、あなたが思う、ひまわりとはどんなものでしょうか?

そして、どんな花にでも想いがそこには込められていて、私は、floracierフロラシエという立場として、それはものすごく大切にしていきたいことだと、思っています。




2015年8月15日土曜日

ブラックコメディはお好き?

「定期的に映画をみる会」
というものを、私は映画好きの友人と続けています。


映画はあらゆる要素の集合体で、与えてくれるインスピレーションが私にとっては非常に大きいのですが、ただ、その映画の好みがちょっと偏っているために、お誘いする友達が限られてしまうことが悩みで、さくっと一人で観に行くこともしばしば。。



つまり、スカッとしたものより、どろっとしたものが好きなのです。



ですので、自分が選んで外れももちろんありますが、インスピレーションとして確実に、自分の内面に刻まれるので、やはり映画を観るのはやめられず、私にとっては至福のシアワセなのです。



最近観てきた映画の衝撃が、実はすごすぎてまだ、ひきずっています。。



「人生スイッチ」という映画。



アルゼンチンとスペインの合作映画で、「トーク・トゥ・ハー」などのペドロ・アルモドバルが製作しているということで、彼の作品にズンとハマったことのある私は、迷いなく観に行きました。


この予告編なら、差し障りないと思うので、、



人がキレたり、恨んだり、あるささいなこと(スイッチ?)がきっかけで人生がとんでもない事態になる、というオムニバス6話からなる映画です。


全くお上品な映画ではない(むしろ逆。。)ので、好き嫌いがはっきり分かれると思います。



私の見終わった直後の感想↓
「あー 甘いミルクティが飲みたい。。。」でした。




アルゼンチンでは、ブラック(すぎる?)コメディのこの映画が、9週連続で№1の大ヒットのようです。


南米は、日本ではあまり知られていませんが、実は「食」もとても美味しいんだ、と詳しい友達が言っていて、最近私も注目しているところです。


確かに私の知る限りでも、目の肥えた方が南米の食を求めに旅行にいかれていたり、バカンスに行かれる方がいらっしゃるなーと感じています。


お花に関しても、例えばペルーでは日本よりお花が日常に浸透しているようです。


先日そのお友達が、南米で挙げた結婚式の会場装花の写真が、こちら。











































いかがでしょうか?


なんか、とても幻想的で、夢がありますよね。



会場では、おじいちゃんも、おばあちゃんも、大人も子どももみんなダンスを踊って夜もふけるまで楽しむのだそうです。


日本とはまた異なる南米の文化や国民性、興味深いです。












2015年8月10日月曜日

お花の儚さ

まだまだ暑い8月。。。


生花はどうしても持ちが悪くなり、少しでも長く咲いていてもらえるよう、日々私も工夫をこらしていますが、その豆知識はまた改めて別のトピックであげることにして、、


今回は「お花の儚さ(はかなさ)」というものにフューチャーしたいと思います。


古来から、静物画としても、花というモチーフは多く描かれています。

別名「花のブリューゲル」と呼ばれるくらい、豪華絢爛な花をたくさん描いたヤン・ブリューゲルという画家は有名で、皆さん一度はその絵をどこかで見たことがあるかもしれません。
こういう、色とりどりの花がボリュームもりもりに描かれた絵です。



ヤン・ブリューゲル(父)花束 1607
 





豪華で美しい絵でありますが、
華やかに見える絵にもどこかしら儚さといったものが見え隠れしているように思えます。






よく見ると、下に花が落ちていたり、中にはフレッシュでなさそうな花や蒸れて折れていそうな茎が混ざっていたり、、、








上のヤン・ブリューゲルの絵をご覧になって感じたように、当時の静物画は、軽やかというよりは、なんかどっしり重厚感のようなものがあるのが特徴です。



よく、こういった古来の静物画で、メインの被写体のそばに、骸骨だったり、熟れた果物だったり、蠟燭だったり、よくみると一見なんで?というものがふと脇に描かれている絵をご覧になったことがあるでしょうか?


骸骨の絵なんて、夜に見るとちょっとゾッとしますが、こういった時の経過やはかなさを連想されるものを置いた静物画は、「ヴァニタス画」と呼ばれています。



ヴァニタスとは、ラテン語で「空虚・虚しさ」などの意味を持ちます。



~美しさは永遠ではなく、いずれは衰え消える。そういった死へ向かうことを恐れないで~
という教訓がヴァニタス画というものに込められています。


美しさや若さは永遠ではない、、
女性にはグサっと来るのでしょうか。。



私は女ですが、こういった永遠でないものに強く惹かれます。
そして同時に思ったのが、こういったはかなさというものに魅了された人は、時代を超えてたくさんいたのだと。。



ある本で、ロバート・メイプルソープという写真家を知り、彼は42歳という若さでエイズでこの世を去るのですが、彼が自分の余命を悟ったとき、このチューリップという作品を撮ったそうです。

チューリップ(1987)



彼は、ヌードやゲイカルチャーなどの作品で知られていますが、still life(静かな生 もの言わぬ生命)というジャンルで花の写真の作品も多く残しています。












この写真から、皆さんは何を感じるでしょうか?



花の儚さと自分の死への経過を重ねて、友人へ贈ったロバート・メイプルソープ。


すべてを網羅できたわけではないですが、メイプルソープの花の作品はかっちり男性的な感じを受けるなか、このチューリップだけは、なんか別ものだと感じました。



「花は儚いからいい」

そう言ってくれるレペトワールのお客様に、私は心が洗われます。