2015年7月24日金曜日

千利休と朝顔

今の時期、軒先に咲いている朝顔。。
朝顔が似合う、そんな日本の街並みの風情を残していきたいな、と強く願います。



そんな私も、昔は朝顔のことを何とも思わなくて、むしろ薄い花だな(厚みが)とか、ちょっと野暮ったいかな、とか正直思っていました。

ただ、大人になるにつれて、そういう寂び感のある朝顔の色っぽさや、凛としているのにもかかわらずその生命の儚さに惹かれていくようになったのは、間違いありません。



朝顔の、余りにも有名なのはやはり、千利休と秀吉のエピソードです。


千利休が、美しく見事な朝顔たちが庭に咲いたのでぜひご覧ください、と秀吉を招待し、秀吉が向かうも、庭には一輪も朝顔が咲いていなかった。
どういうことかと秀吉が訝しみ、茶室に入るとそこには、たった一輪、朝顔が活けてあったというエピソードです。

そのたった一輪に、千利休は全てのこころを込めたということです。
ほかの全ての朝顔を切ってまで、、


千利休は、茶花というものを、美しく見せようとする技術的なものとしてではなく、花そのものの美しさを活かすもの、そして日本人の内に秘めたる美徳といったものを花に込めたもの、という姿勢を貫いていました。


私がフロラシエとして世の中にお伝えしていきたいことには、こういう日本人らしい内に秘めた心ということも含んでいます。

全てがオープンな世の中、というのは便利ですがどこか怖く、こういう美徳があった時代はなんか豊かだな、と感じます。


千利休がたった一輪の朝顔を活けた、というエピソードから感じ取ることは人それぞれかもしれません。
私は、覚悟というか、こんな想いで生きていたという彼の潔さを垣間見た気がしました。


その彼も愛した、朝顔の性質というのもなかなか興味深く、
ひと言で言うと
「刺激をもろに感じるタイプ」
と言えます。


花は生きているので、全般的に刺激に触れると感じる性質ですが、朝顔はそれが顕著です。

例えば、朝顔の花は朝に開く、といわれますが、一体何を合図に一斉に開くのでしょうか?

朝の太陽の光を感じて咲くのかと思いきや、秋にはまだ真っ暗な時間に咲いたりします。

ある実験で、
太陽が沈んで暗くなってから、約10時間後に朝顔は開花する、

という結果があり、夏や秋とでは開花時間が異なるのもこれだと納得がいくのですが、つまり

「暗闇」という刺激をしっかりと朝顔が感じているということです。


ですので、きちんと暗闇を感じないと、朝顔の蕾はいっこうに開きません。
おもしろい花です。


また、朝顔の茎や葉っぱを上下にこすったり、つまんだり
「触る」という刺激を与えると、これまた面白くて、伸びなくなります。

触らない苗のほうがグングン生育するようです。



朝顔は、やたらに触らず、少しほうっておくのが良いみたいです。
何かに似ていますね。




2015年7月16日木曜日

セルゲイ・ラフマニノフとライラックの花

セルゲイ・ラフマニノフは、日本でも愛好者の多い、ロシア出身の作曲家です。

身体は2メートル近く(?!)もあって大きい体格ですが、彼の旋律は、ロシア的哀愁というか、繊細な感じを受けるので、男っぽいのにナイーブ、という、今でいう「ギャップ」の魅力があったのだと思います。

そんなラフマニノフですから、当時の世の中の女性がやはりほうっておくわけがありません。
彼のモテエピソードの中にも、お花にまつわるものがあります。


ラフマニノフは「ライラック」という歌曲を作曲したのですが、その後、匿名の熱狂的ファンによって、彼の行くところ行くところ、白のライラックの花が届くようになったそうです。
(この送り主は諸説あるので、ここでの特定は控えます)


映画「ラフマニノフ ある愛の調べ」という映画が昔にあったのですが、ラフマニノフにまつわるライラックの伝説が、美しい映像で綴られます。

この映画は、伝記的というよりは芸術的創作部分が多い映画なので、女性のほうがウケが良いのかもしれませんが、

男ラフマニノフが、ライラックの大きな鉢を抱えてそれを庭に植えるシーンの、ライラックの美しいこと。



アメリカへ亡命せざるをえなかった、ラフマニノフのその当時の苦悩や祖国への望郷をライラックという花が物語っています。


日本人の桜への思いと似たような、ロシア人にとって郷愁をそそる花なのでしょうか。


実際、春に咲くロシアのライラックは、大木でその香りも甘美高いものだと言われています。


日本で言うと、やはりライラックは、一般的に春。
なかなか良い状態で通年手に入るものではなく、そして水が下がりやすい難しい花ではありますが、ただ、手に入るときは、ザックリと花瓶に飾るだけでも映えると思います。

銀座の店舗で働いていた頃、ライラックの花を求めていらっしゃる方はハイセンスな女性が多かったな、、という記憶です。


今回は、最後に、
ラフマニノフの「ライラック」ピアノヴァージョンをお聞きください。
こんな甘い旋律も生み出せるのですね。


2015年7月12日日曜日

マルク・シャガールと花束

初回は、ART(絵画)の分野から、お花にまつわるエピソード(blooming episode)をご紹介します。

シャガールの絵は、独特な色彩のなかに、どこかうっとりとするようなあたたかさや優しさといったものが感じられて、それは彼自身の純粋な愛やこころが絵に溢れているからなのかもしれません。

そのシャガールが、絵のモチーフとして多く描いたのが、お花です。

「誕生日」(1915年)という作品の中で、
シャガールとベラが浮遊して幸せいっぱいな様子があらわれているのですが、そのベラが大切に握りしめているもの。。
「誕生日」



そう、花束です。


相当の身分違いの恋であった2人ですが、パリへ修行中のシャガールをベラが初めて訪ねていった時にあげたプレゼントが、この花束だと言われています。











〜1915年の私の誕生日に、ベラが花束を持ってやってきた。私は貧しく、私のそばに花などなかった。私にとって花は人生の至福を意味するものだ。〜


後に彼はこう言っていますが、その時の喜びといったら、相当シャガールの心にぐっとくるものだったのだと思います。

何しろ彼は、80歳を過ぎておじいちゃんになってからも、そのベラの花束を思い出しては何度も何度も絵に描いているのです。


自分が28歳のときにもらった花束をです。


初めて私が、この「誕生日の大きな花束」の絵を見たとき
その花束が28歳の当時よりいっそう大きく魅力的に描かれていることに深く感動し(当時シャガール80歳過ぎ)
「誕生日の大きな花束」
 
 
 
そして、また初めてこの「パレード」という絵を見せてもらったとき
花束を大切そうに持っているベラ(右下)、そして幻想的なシャガールブルーの色彩に只々心打たれ、
パレード

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 

 














私は、絵にこめられたシャガールの純粋な思いが、人のこころをこんなに動かすものだとは思ってもいませんでした。



花はいつか枯れるけど、彼のこころの中でずっと生き続けていた、という証です。
花は、そのかたちがなくなっても、なお人のこころに生き続けることができるもの。



「大切な人との記念日に、シャガールの絵をみにいく。」
そんな過ごし方というのも、素敵ではないでしょうか。




 

2015年7月7日火曜日

I'm Floracier...

Floracier(フロラシエ)とは。。
お花をテーマに、人のこころを表現する仕事です。


私は、お花に携わる仕事でこの度、独立をしましたが、
自分のことをフラワーデザイナーとは名乗らず、世界で誰も使っていないこのFloracier(フロラシエ)という肩書きでやっていきたいと決めました。


フロラシエは、ただ綺麗なお花を作るだけではなく、
このblogを通じて、お花の魅力や愉しみ方をさまざまな分野からご紹介していきます。


因みに、個人的趣味(?!)も存分に入っていますが、こんなカテゴリーたちと絡めてご紹介していきたいなと思っています。
art(絵画) / movie(映画) /  literature(文学) / music(音楽) /  performance(舞台)  /  fashion(ファッション) / eat (食)...


こう書いてみると、お花とは、本当にさまざまな分野でその存在感を発揮し、古来からずっと人のこころを魅了し続けているという、稀有な存在なのです。

このblogを読んでくださった1人でも多くの方に、お花のある人生って、、こんなにいいものなんだね、と心がホッコリしてもらえたら、すごく嬉しく思います。


そして、まさに今日、出来たてホヤホヤのHPはこちらです!
http://repertoiredeflora.jp


私の花への熱い気持ちが、詰まってます。
RÉPERTOIRE de Flora. レペトワール デ フローラという屋号で活動していきます。


これからどうぞ、宜しくお願いいたします。