朝顔が似合う、そんな日本の街並みの風情を残していきたいな、と強く願います。
そんな私も、昔は朝顔のことを何とも思わなくて、むしろ薄い花だな(厚みが)とか、ちょっと野暮ったいかな、とか正直思っていました。
ただ、大人になるにつれて、そういう寂び感のある朝顔の色っぽさや、凛としているのにもかかわらずその生命の儚さに惹かれていくようになったのは、間違いありません。
朝顔の、余りにも有名なのはやはり、千利休と秀吉のエピソードです。
千利休が、美しく見事な朝顔たちが庭に咲いたのでぜひご覧ください、と秀吉を招待し、秀吉が向かうも、庭には一輪も朝顔が咲いていなかった。
どういうことかと秀吉が訝しみ、茶室に入るとそこには、たった一輪、朝顔が活けてあったというエピソードです。
そのたった一輪に、千利休は全てのこころを込めたということです。
ほかの全ての朝顔を切ってまで、、
千利休が、美しく見事な朝顔たちが庭に咲いたのでぜひご覧ください、と秀吉を招待し、秀吉が向かうも、庭には一輪も朝顔が咲いていなかった。
どういうことかと秀吉が訝しみ、茶室に入るとそこには、たった一輪、朝顔が活けてあったというエピソードです。
そのたった一輪に、千利休は全てのこころを込めたということです。
ほかの全ての朝顔を切ってまで、、
千利休は、茶花というものを、美しく見せようとする技術的なものとしてではなく、花そのものの美しさを活かすもの、そして日本人の内に秘めたる美徳といったものを花に込めたもの、という姿勢を貫いていました。
私がフロラシエとして世の中にお伝えしていきたいことには、こういう日本人らしい内に秘めた心ということも含んでいます。
全てがオープンな世の中、というのは便利ですがどこか怖く、こういう美徳があった時代はなんか豊かだな、と感じます。
私がフロラシエとして世の中にお伝えしていきたいことには、こういう日本人らしい内に秘めた心ということも含んでいます。
全てがオープンな世の中、というのは便利ですがどこか怖く、こういう美徳があった時代はなんか豊かだな、と感じます。
千利休がたった一輪の朝顔を活けた、というエピソードから感じ取ることは人それぞれかもしれません。
私は、覚悟というか、こんな想いで生きていたという彼の潔さを垣間見た気がしました。
その彼も愛した、朝顔の性質というのもなかなか興味深く、
ひと言で言うと
「刺激をもろに感じるタイプ」
ひと言で言うと
「刺激をもろに感じるタイプ」
と言えます。
花は生きているので、全般的に刺激に触れると感じる性質ですが、朝顔はそれが顕著です。
例えば、朝顔の花は朝に開く、といわれますが、一体何を合図に一斉に開くのでしょうか?
例えば、朝顔の花は朝に開く、といわれますが、一体何を合図に一斉に開くのでしょうか?
朝の太陽の光を感じて咲くのかと思いきや、秋にはまだ真っ暗な時間に咲いたりします。
ある実験で、
太陽が沈んで暗くなってから、約10時間後に朝顔は開花する、
という結果があり、夏や秋とでは開花時間が異なるのもこれだと納得がいくのですが、つまり
太陽が沈んで暗くなってから、約10時間後に朝顔は開花する、
という結果があり、夏や秋とでは開花時間が異なるのもこれだと納得がいくのですが、つまり
「暗闇」という刺激をしっかりと朝顔が感じているということです。
ですので、きちんと暗闇を感じないと、朝顔の蕾はいっこうに開きません。
おもしろい花です。
また、朝顔の茎や葉っぱを上下にこすったり、つまんだり
「触る」という刺激を与えると、これまた面白くて、伸びなくなります。
触らない苗のほうがグングン生育するようです。
朝顔は、やたらに触らず、少しほうっておくのが良いみたいです。
何かに似ていますね。
「触る」という刺激を与えると、これまた面白くて、伸びなくなります。
触らない苗のほうがグングン生育するようです。
朝顔は、やたらに触らず、少しほうっておくのが良いみたいです。
何かに似ていますね。
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